間違った飼い方をしてる人を攻撃してしまう飼い主さんへ

もっと柔らかいタイトルをつけようと思ってました。

「強く言ってしまう飼い主さん」とか「つい怒ってしまう飼い主さん」とか。

あえて「攻撃してしまう」という、なんとも猛反発を受けそうなタイトルにしました。

これを見てどう思いましたか?

「あ、自分も実はやってしまった覚えがある・・・」と思った方もいますよね。

そう、動物愛が強すぎるゆえにですよね。

あるいは、「強く言われたことがある・・・」っていう攻撃を受けた方もいると思います。

質問の内容がどうやら基本的なことで聞いたら罵られた、みたいな感じで。

こんなことを記事に書く私は、どういうやつだと思いますか?

誰かに正当なこと言われてムカついたから腹いせに記事にしてるんだろ!とか

傍観者気取って、そういう人に説教垂れるんだろ!とか

上から目線でエラソーなこと語るんだろ!など、いろいろ想像されると思います。

残念。どれもハズレです。

なんせ私は、生粋の攻撃側でした。

潔く、清々しく、リアルでもブレない攻撃側のニンゲンでした。

はい、過去形です。今は足を洗いました。

だから、タイトルは他でもなく「過去の自分へ」です。

ただもし、このタイトルに惹かれて「なんだこいつ!」って思って来てくれたのなら、ちょっと読んで行ってくださいねー。

「優しく丁寧に教える」のが一番いいと思う

私の数少ない経験談で、成功したものです。

結局のところ、「正しくお世話をされ、動物も飼い主さんも一緒に幸せになる」っていうのが動物と暮らしている人たちの願いだと思います

自分以外のほかの飼い主さんたちにも、そうあってほしいと思っているはず。

少なくとも私はそう思っています。

なので、つい間違ったことしている人を見ると「直してよ!」って思う

動物を苦しめてると判断したら、怒ってしまうんだと思います。

勉強熱心で、動物が大好きな人ほど、その傾向は強いと思います。

相手が素直に聞いてくれる人ならいいかもしれない。たとえ言葉がキツくなっても。

ドラコ
ドラコ

でも、そうじゃなかったら?

聞き手が萎縮したり、心がねじれてしまったり、もうアドバイスを聞くどころじゃなくなってしまったら?

聞き手の勝手?

私(話し手)に責任はない?

正しいことを言ってるから?

でもそれじゃあ・・・「動物さんと飼い主さんが幸せになる」っていうゴールにたどり着けませんよね。

それとも、ただ傷つけたかっただけですか?

私のほうが知ってるんだから、バカなあんたは言うこと聞いてりゃいいのよ!って感じですか?

助言ってなんでするんでしょうね?

アドバイスって何でしょうね?

わかってもらえなきゃ、ダメなんじゃないかなって思うんです。

そして、一番効果的なのって「優しく丁寧に教えること」だとわかったんです。

反論、話の通じない人にも優しく教えるのか

こういう反論が来るんじゃないかと思います。

「話の通じない、いくら言ってもわからない人にも怒らずに教えろというのか」って。

これ、すごく難しいです。

未だかつて、私が接してきた人の中で話の通じなかった人がいなかったので。

幸運なのですが、そういう経験がないくせに書いちゃってるんですけど。

残念ながら、話の通じない人とか何度言ってもわからない人とかには、

丁寧に教えようが怒ってきつく言おうが、暖簾に腕押し、糠に釘・・・かと思います。

むしろ少しでも心を動かせる可能性があるのなら、自分が不利にならない程度で攻撃はありかと思います。

悲しいですが、この手の方への対処方法は私にもわかりません。

もし、そういう人を相手にしたことがあって苦労したとか、うまくいった、失敗したなど

そういう話があったら、聞いてみたいくらいです。

最終的に「動物と飼い主が幸せになれる」なら何でもいいと思う

あっさり自分の意見を覆しました。

もともと、これは私の体験談をもとに考えた結果を書いたんです。

数少ない経験から、こうしたらうまくいったという方法を書いてみたんです。

怒りに支配され、脳ミソをすり減らすよりも平和的な解決方法ですよね。

ただ、生態系と同様に、意見とかアドバイスも多様性があった方がいいんじゃないかと思うんです。

ひとりひとり刺さる言葉も違うし、心に響くフレーズも様々です。

願わくは、たとえどんな言葉を使っても「動物さんと飼い主さんが幸せになること」が、みんなのゴールならいいなぁと思うんです。

かつて攻撃側だった自分

私は、動物が好きです。

好きの度合いを数値化できないのが残念ですね。

動物が好きすぎるあまり、自分が住処を破壊したりする人間側で生活を営んでいることを申し訳なく思ったり

自然や生態系、あらゆるカテゴリ分けされる「動物」について学びまくり、ずっと考えてるくらいには好きです。

自分も加害者側であることに苦悩しながら、動物側につきたいと願い、その考えにしがみついていました。

私は過去に、自分の言葉を凶器に使っていました。

語気を荒げず、乱暴な言葉は使わず、淡々と、隙を突いて、一撃で、心が痛む正論を。

実際に「あなたの言葉には殺傷能力がある」と言われたことが何度かあります。

当時の私の最終ゴールが「心に刺さる、抜けないトゲになる」ことだったんです。

動物を傷つける人間の心を傷つけて、何かのたびに痛むようにと願って。

そして、そんな自分が大好きでした。

非常に愚か。

実際に攻撃した内容

SNSや掲示板のたぐいでは、心で思っても書き込んだりはしなかったのですが

実際に私宛にメールで相談してきた人を攻撃してしまったことがあります。

しかも二人。どちらも私が二十歳前後の時でした。

1人はセキセイインコに人間用のせんべいを食べさせてた人

セキセイインコがいつも2~3年しか生きないというので、聞きだしたときに発覚した事実。

もう1人は、セキセイインコがエサを散らかして行儀が悪いからどうにかしてほしいという人。

せんべいを食べさせていた人には、インコの塩分要求量や人間の食べ物を与えてはいけないこと

それによって寿命を縮めていたと考えられること、飼育本を読めばそのくらいわかることを返信。

エサを散らかすことへの相談には、行儀が悪いっていうのが意味わからないということと、

汚れるのが嫌なら小さいほうきとチリトリで掃除してあげればいいのではないかと返信。

飼い主の勝手でインコさんに迷惑をかけてると思ったから、返信の言葉がかなりキツかったと思います。

そして、どちらもその後連絡なし・・・。

どうなったのかは、わかりませんでした。

攻撃したことへの後悔

かつての私は、自分が正しいと思っていました。

飼育書、専門書、雑誌・・・あらゆる書籍を読み漁っていました。

知識の蓄積が、大切な家族の幸せにつながると信じて。

正しいことを言うことで、相手がその通りにしてくれればうまくいくと信じて疑わなかったんです

なんて浅はかで、傲慢なんでしょう。

相談を受け付けていたわけではなく、ただ自分のインコを幸せにしたくて、その記録を残したくて書いてたブログ宛に届いたメールでした。

うまく、もっとうまく、あの時の自分が対応できたのなら、未来は違ったかもしれないのに。

一緒に同じものを食べて楽しみたいなら、一緒に食べられるものを提案してあげればよかった

エサを散らかして行儀が悪いっていうことならば、もっと話を掘り下げて聞いて

エサ入れの位置とか入れるエサの量とか、もっと一緒に考えて答えを見つければよかった

もう昔のことだし、その後どうなったか知る由もない。

私は、せっかくの縁を、伸ばしてくれた手を、思いっきり振り払ってしまったんです。

当時の私の「正義」は、誰も救いませんでした。

そもそもどうして攻撃側にいたのか

なんで攻撃に走ったか、理由は2つです。

  • 他者意識が欠けてたから
  • 相手の意識に残るようにしたかったから

他者意識が欠けていたとは?

私は他人に興味がありません。

なので他人の知識量や考えがどういうものかわからず、まぁ、自分と同じくらいだろうと思っています。

自分ごときが知っていることは、当然他人はみんな知っている。

何か聞かれたら、試してるか、バカにしてるかだ。

こんなひねくれた考えがあったんですね。

これはいろんな人に諭されて、意識を変えました。

他人のことを慮れないやつの典型ですね。

相手の意識に残るようにしたかったとは?

とある発表についてのアンケート結果を読んだ時のこと。

いい感想が続く中で、批判的なものも1,2つあって、そういうのって印象に残るんですよね。

そして自分で納得するとなおさら。

気分のいい感想は「そーでしょー♪」って読み流しちゃうけど

批判的な意見って「は?何言っての?」みたいな感じで反発を覚えるけど

印象に残って繰り返し思い出して、ああ・・・一理あるよなぁとか思ったりするんです。

それで私は、相手が気分良くなるための言葉よりも、何度も思い出してしまうチクチク痛むトゲのような言葉を目指したんです。

「ありがとう」と言われたことで変わった

以前も何かの記事で書きましたが、私は自分のために書いた記事で、見ず知らずの通りすがりの方に感謝されたことがあります。

記事だけじゃなくてコメントのやり取りの中でも。

記事のリクエストが来て、インコの発情対策を書いてほしい、と。

これも、私の記事より書籍を読んだ方が勉強になるんじゃ・・・って思ったんですよね。

でも、せっかくのリクエストだし、内容をわかりやすくするために、イラストを描いて体験談書いてアップしました。

そしたら、「ありがとう」ってコメントくれたんです。

「ありがとう。すごく参考になりました。試してみます。記事楽しみにしてます」

読んだ途端、涙が出ました。

なんだよ・・・通じるじゃん・・・

攻撃する必要なんてなかった。

私の工夫次第で、伝えられるじゃないか・・・

動物のためなんだって、攻撃して私が悪者になったとしてもそれでいいんだって思ってた。

自分を守るのに生み出したのが「ドラコ」です。

可愛くてかわいそうな、私の罪を背負った小さなドラゴン。

この出来事から、私は動物のことで他人を攻撃することをやめました

見失った目的の再確認と、達成できる確率の高い方法を改めて考えました。

あの時、リクエストしてくださった方、コメント欄でやり取りしてくださった方

私の方こそ、「ありがとう」です。

過去の自分へ

目指すものを「動物さんと飼い主さんが一緒に幸せになること」とするならば、自分にできることは何だと思いますか?

怒りで支配されたら、せっかくの思考の時間がもったいないです。

学ぶことが好きなら、たくさん学べばいいと思います。

そして学ぶときは、誰かに伝えることを考えれば頭に入りやすくなるし、忘れなくなります。

「誰かに丁寧に説明できること」の大切さを知ると、自分もどんどん向上できると思います。

それが、自分の目指すものに繋がっていくんです

今の考えはこれ。

心に刺さるトゲじゃなくて、心に沁み込む栄養となれ!

そのために、学ぼうよ!伝えようよ!

誰にでも牙をむいてた過去の私。

あとがき

SNSを始めてアプリを開くと、いろんな人の意見が一気に流れ込んできます。

それぞれみんな自分の意見やら考えを書き、それに反応した人がリプライする。

そして中には、剣呑な感じの会話が流れてくることもあり

インコのことだったりすると、その後どんな展開になっていくのかをつい見てしまいます。

なかなか意見が合うことはなく、言葉尻を捉えて揚げ足取りになったりとか

議論の方向がズレて行ってしまったりとか、結局険悪なまま終わっていることが多いです。

分かり合いたい気持ち、同意してほしい気持ち、何でわかってくれないのっていう気持ち。

実際文章から読み取るって難しいです。

反対意見の他人同士が仲良くするなんて、もしかしたら夢物語かもしれません。

でも、動物に関することだけはいつも

動物も飼い主さんもそのお友達も、みんなみんな幸せであってほしいと思っています。

コメント

  1. えたばりゅ より:

    そう(;^_^A
    動物、環境をを守るって言っても根本は人間同士のコミュニケーションがそれに繋がることがほとんど・・・。

    同じく、前は結構絶滅危惧種が多いのは何も考えないで目の前の便利さを追求してそれを利用する人間のせい的な書き方をしてた。

    今もレッドリスト入りしてる動物たちを記事にする時は絶対リストのことは紹介するけど、一緒に守っていこう的なスタンスに変更してて、以前の記事もリライトして回ってるわ。
    やっぱ「やれ」とかそういう言い方は自分も反発する部分もあるし、考えてみたら自分は別に影響力がある人間でもないしね(;^_^A

    でも、発信はやってかないといけないし、何よりやるべき最優先事項やし、この辺りの言い回しというか、さじ加減は本当にデリケートなところ・・・

    ホンマ、発信する側も日々勉強やね(;^_^A

    • ドラコ より:

      ドラコも同じ側のニンゲンだから、えたばりゅさんが記事にしてくれてたことには
      毎回「そーだそーだ!」って思ってた。
      それでわかってくれる人は、もともとそういうのに興味がある人だったり
      実際に行動してる人なんだよね。
      もし、そうじゃない人にわかってもらおうとするなら
      「一緒に守っていこう」っていう感じのほうが受け入れられるかもね!

      ドラコは以前環境系の勉強もしてて、そのときの試験問題に
      「興味のない人たちに環境問題を考えてもらうには」みたいなのが出たんだけど
      その時のドラコの答えがひどくてね・・・
      「興味のない人に丁寧に説明してもわかってもらえないと思うから
      『守らないと自分たちが何かを失う』ということを大げさに説明しておどす」
      っていうようなことをわりと詳しく書いた!w
      成績はなんとSだったよ!w

      でもそれだと反発されるしね・・・。
      かといって、あまりにへりくだりすぎるのも・・・
      ホント、難しいよね・・・。
      その都度過去記事をリライトしていいものを発信できるようにしたいね!

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